心を乱すのは現実ではなく、頭の中で鳴り続ける小さな雑音だ。
人は「物語」を作る生き物です。
「自分の過去」、「今の立場」、「未来への願い」それらをつなぎ合わせて「自分とは何者なのか」を理解しようとする。つまり、「内なる声」は本来私たちが前へ進むための知的ツール。
しかし、この精巧な「内なる声」が、一度バランスを崩すとどうなるのか。
普通の思考が濁り、やがて「内なる雑念」へと変わっていく。
この「内なる雑念」を「反芻思考」と呼び、これはまず「危険なものを避ける」動物本能に根ざしている。
では、頭のどこかに勝手に動き続ける歯車があるかのような「反芻思考」をどうすれば、鎮められるのか。
1.儀式化
決まった手順でコーヒーを入れるなど、「毎回同じ順番で同じ動作を行う」という極めてシンプルな行為のこと。これをすると、「外側の秩序」が「内側の秩序」を呼び込んで、冷静になることができる。
2.言葉の距離を置く(自我距離化)
第三者視点で自分に声をかける。「どうしよう。」ではなく、「(自分の名前)は今、どう動くべきか?」、苦手な相手との会話の時も、「大丈夫だ(自分の名前)、丁寧に話せばいい。」、プレッシャーが大きい場面も「(自分の名前)ならここを乗り越えられる。」と自分に問いかける。これをすることで暴走する内なる声は、まるで自分の意見のように思えてしまうが、第三者視点を入れることで感情に飲み込まれにくくなり、判断力が戻ってくる。これを「自我距離化」という。
3.他者との関わり方
反芻思考に飲み込まれているとき、私たちはつい「ひとりで抱え込もう」としてしまいます。しかし、適切な形で誰かに話すことは反芻思考を鎮める大きな力になると分かっている。
ただ、話す相手によっては、反芻思考を助長してしまうので注意が必要
話すのに良い相手
1.感情を受け止めてくれる人
2.必要なときは現実的な視点を返してくれる人
こういう人のバランスの取れた返しは反芻思考を和らげ、心を再び地面に降ろしてくれる。
話すのに向いていない人
「分かる、俺もだ・・・」と感情が増幅されるパターンは危険。
一見優しく見えても内なる雑念をさらに燃やしてしまうことがあります。
人に話すのは弱さではなく、「思考の整理」のための戦略だということ。
話すことは「依存」ではありません。暴走しがちな脳に対して一時的に外部の視点を借りるだけのこと。
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